服部時計店の歴史や社長について!現在は閉店したのかも調査してみた!
服部時計店は、セイコーの歴史を語る上で欠かせないワードです。今回は、セイコーの原点なった服部時計店の歴史や創業者・服部金太郎氏について徹底解説します。また、現在の服部時計店の様子にも迫っていきます。ぜひ、チェックしてみましょう。
服部時計店の歴史や閉店しているのかを調査
今回は、セイコーの原点になっている服部時計店の歴史や創業者について徹底解説します。
また、現在の服部時計店の様子についても紹介していきます。
日本の時計業界を牽引してきた服部時計店の偉業や特徴をチェックしてみましょう。
歴史を紐解くと、セイコーやグランドセイコーの時計の魅力がより一層感じられるようになります。
服部時計店の歴史
それでは、まず、服部時計店の歴史を紐解いていきます。
1881年:初代社長 服部金太郎が創業
服部時計店は、1881年に初代社長・服部金太郎氏が創業を始めました。
創業当時の時計業界は、通貨収縮による不況の時代で、舶来時計をモデルにして国産の懐中時計の研究や試作に明け暮れていました。
また、時代錯誤する中、舶来品を仕入れるルールを守らない人もおり、外国商館とのいざこざも起きていました。
そのような中、21歳の服部金太郎氏は、外国商館内外の外国人とのやり取りをスムーズに進め、服部時計店の評判を広げていきます。
1886年になると、舶来時計の卸販売に集中し、創業後6年目の1887年には、日本商業の中心地銀座の表通りへの進出を果たすまでに成長を遂げました。
1892年:精工舎を創業
1892年になると、服部金太郎氏は時計の国産化という目標を抱き、時計の製造に乗り出します。
金太郎氏は天才技術者・吉川鶴彦氏と名古屋の掛時計工場の視察を繰り返し、腕時計の国産化に向けて試行錯誤をします。
そして、その後まもなく、従業員10余名のささやかな精工舎を創業しました。
そこでは、ボンボン時計と呼ばれた掛時計の製造を開始しました。
金太郎氏と技師長となった吉川氏は、共に時計の国産化に邁進することを誓い、セイコーの明るい歴史の新たなスタートを切りました。
1924年:セイコーブランドの誕生
掛時計の商品化を皮切りにして、金太郎氏と吉川氏は、次々と商品開発に挑戦していきました。
1913年には、国産初の腕時計「ローレル」を発表し、その後も大衆向け懐中時計「エンパイヤ」を海外へ輸出するまで成長しました。
しかし、順調だった時計作りは関東大震災や戦争に遭い、邸宅や精工舎を失うことで行き詰ってしまいます。
ですが、金太郎氏は持ち前の前向きさで苦難を乗り越え、1924年12月に、セイコーの腕時計の生産を始めました。
セイコーブランドの発展は、震災と戦争の被害に遭った日本の復興の希望でした。
服部時計店は閉店したの?
日本の時計業界を牽引してきた服部時計店は、セイコーブランドの登場後、営業をしているのかどうか調査しました。
それでは、服部時計店の気になる現在の様子を紹介します。
現在は銀座和光として営業中
日本の時計業界を牽引した服部時計店の現在は、「銀座和光」として営業を継続しています。
銀座和光は、セイコーの時計や宝飾品の販売を主に行っています。
また、日本国内外の腕時計、宝飾品、陶磁器、バッグなど高級装飾品の取扱いもしています。
国内外の著名人が多く訪れる高級専門店としても有名です。
銀座和光の6階には、アートギャラリーがあり、様々な催事が常時行われています。
旧 服部時計店(和光)の特徴
- 銀座のシンボルである時計塔
- 東日本大震災を悼む鐘の音
- 映画「ゴジラ」に登場
銀座和光は、銀座のシンボルとしても親しまれています。
そのシンボル的存在である時計塔は、店舗の営業時間中の毎時0分と東日本大震災の犠牲者を悼んで毎年3月11日14時46分に「ウェストミンスターの鐘」とゴングが鳴り響きます。
また、日本の代表的な映画「ゴジラ」でも銀座和光の時計塔が登場しています。
1954年公開の第1作目や2016年公開の「シン・ゴジラ」にも登場しました。
旧 服部時計店(和光)の基本情報
店舗名 | 銀座和光本館 |
---|---|
住所 | |
電話番号 | 03-3562-2111 |
営業時間 | 10時30分~19時 |
定休日 | 無休 |
電池交換 | 有 |
腕時計や時計の電池交換や修理は、銀座和光本館1階の時計修理カウンターで受付しています。
銀座和光本館は東京メトロ「銀座駅」A10出口を利用すると便利です。
また、本館地階とB1出口が直結しています。
銀座のシンボルにもなっている時計塔が目印です。
服部時計店は岡山にもあるの?関係性を調査
「服部時計店」と検索すると、岡山県にある「服部時計店」も見付かりました。
そこで、セイコーの原点である「服部時計店」と岡山にある「服部時計店」には関係性があるのかを調査してみました。
直接的な関係はなし
セイコーの歴史に関わる「服部時計店」と岡山県にある「服部時計店」は、直接的な関係がないことが分かりました。
岡山県にある服部時計店は、創業115年以上も続く老舗時計店として、グランドセイコーやクレドール、オリエントスターを取扱っています。
また、時計のメンテナンスや修理も手掛けています。
地元でグランドセイコーのマスターショップとして愛される
岡山県にある服部時計店は、地域密着型の時計店で、地元の方にグランドセイコーのマスターショップとして愛されています。
メンズモデルとレディースモデルを取扱い、グランドセイコーの豊富なラインナップを取り揃えています。
公式ホームページもあるため、ぜひ、覗いてみましょう。
岡山城をモチーフとした限定モデルを販売
岡山県にある服部時計店だけで発売された、グランドセイコーの限定モデルがあります。
このモデルは、スプリングドライブを搭載した高性能の腕時計です。
そして、岡山城をモチーフにしてデザインされ、金の鯱を連想させるゴールドのべセルが印象的な腕時計です。
また、文字盤の黒色は、岡山城・烏城のカラスをイメージした光沢感のある仕上がりとなっています。
服部時計店だけで販売し、岡山限定15本だけの超希少モデルとなっています。
現在、岡山限定のこのモデルは、698,000円前後で取引されています。
服部時計店はセイコーの歴史になくてはならないお店
今回紹介してきた服部時計店は、セイコーの歴史を語るには欠かすことのできない時計店です。
戦前から日本の時計業界を牽引してきた服部時計店や創業者・服部金太郎氏は、日本の時計業界に偉大な功績をもたらしています。
歴史を紐解くと、セイコーの時計の魅力をより一層感じられるでしょう。
2020年9月29日調査
この記事のライター
Rich-Watch編集部
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