クォーツショックとは?年代別での歴史や海外の反応まで徹底解説!
腕時計の歴史で一番驚きの出来事が日本から起こりました。クォーツショックと呼ばれる出来事です。機械式腕時計が全盛の1969年に日本のセイコーが世界初のクオーツ式腕時計を発表しました。セイコーのクォーツショックから機械式腕時計の歴史は大きく変わっていきます。
目次
クォーツショックとは?年代別の歴史から海外の反応まで
腕時計の歴史で最も画期的な出来事が1969年にわが国日本から起こりました。
クォーツショックという出来事で今まで腕時計の主流であった機械式ムーブメントに取って代わる水晶クォーツ式高精度腕時計を日本のメーカー、セイコーが世界で始めて開発しました。
これによって腕時計の世界は劇的に変化していきます。
クォーツショックとは?セイコーが成し遂げた偉業
クォーツショックとはどのような出来事だったのかというと、今までは腕時計のムーブメントは手巻き式か機械式自動巻きが全てで全ての腕時計に採用されて来ました。
しかし日本の時計メーカー、セイコーが世界で始めての水晶発振式で電池を動力とする高精度水晶クォーツ式高精度腕時計を発売したことで、時計製造の歴史に革命的なことが起こりました。
1969年セイコーが起こした時計界の革命
1969年日本の腕時計メーカー、セイコーは水面下で開発を進めていた水晶発振を原理として電池で駆動する特徴を持った水晶クォーツ式高精度ムーブメントの発売に踏み切り、世界初のアストロンという腕時計を発表しました。
高価な腕時計でしたがセイコーがその後特許を公開すると海外の反応が変わり、瞬く間に全世界で採用されるようになって腕時計の歴史は変わってしまいました。
セイコーアストロンのスペック
発表当時、自動車一台分より高価だったアストロンですが、その特徴とクオリティは全世界が驚愕するようなハイスペックでした。
その当時の機械式時計の誤差は日差-5秒~+8秒でしたが、アストロンは銀電池で一年以上駆動し、月差で誤差が±3秒以内という前代未聞の水晶発振を使った高精度、ものすごいスペックでした。
機械式時計をしのぐ精度で世界を席巻
この当時のことを考えるとセイコーアストロンが実現したハイスペックは特徴的で、機械式ムーブメントでは日差 -5秒~+8秒 といったところが限界でした。
しかし機械時計を大幅にしのぐ高精度をアストロンは実現し 月差±3秒以内という快挙を成し遂げ、それからクォーツムーブメントは世界を席捲する事になります。
東京オリンピックの成功でさらに加速
さらにセイコーの名前を世界に知らしめたのが、アストロン発表のの5年前に行われた東京オリンピックでセイコーが公式計測時計を任されたことです。
この大事業をセイコーは一つのミスもなく見事にやり遂げ、セイコーのクォーツ開発への大きな足がかりとなりました。
デジタル化で価格競争が激化
そして腕時計がクォーツ主流になってくるとセイコーは腕時計のデジタル化に取り組み始め、1973年に機械部品を一切持たない特徴的な6桁表示の液晶デジタルウォッチをこれも世界で始めて発表します。
それから時計ムーブメントが他社へも外販されるようになり、量産が増えた事によるコストダウンが進み、世界的に腕時計の価格競争が激しくなります。
クォーツショックはどのようにして起こった?年代別で歴史を徹底解説
ここでクォーツショックが起こるまでの腕時計の進化の歴史はどういったものだったのかを腕時計のムーブメントの歴史で見てみましょう。
年代 | 出来事 |
---|---|
1927年 | アメリカのマリソンがクォーツムーブメントの開発に成功 |
1937年 | 日本の古賀逸策が国産第一号のクォーツ時計を開発 |
1958年 | セイコーが放送局用水晶時計を開発 |
1964年 | セイコーが東京オリンピックの公式計測時計を担当 |
1967年 | コンクールにセイコーとスイスのCEHがクォーツ時計のプロトタイプを出展 |
クォーツムーブメントの開発は1927年に成功
クォーツ時計のムーブメント自体は1927年にアメリカのメーカー、マリソンが始めて開発に成功していましたが、特徴的な問題で一般に製品化はできませんでした。
一方、日本も1937年に古賀逸策が日本で初のクォーツムーブメントを開発、水晶振動子を使った時計のクォーツ化が始まっていきます。
クォーツショック以前の時計業界
クォーツショックが1969年に起こる以前の腕時計業界は手巻き・自動巻きの機械式ムーブメントが全盛を誇り、特徴的な腕時計が数々と発表されていました。
ロレックスやオメガなどスイス、ドイツの時計職人が常に機械式ムーブメントの研究に取り組んでいた時代でした。
CEH社との競争に勝ちセイコーがアストロンを発表
1967年のニューシャテル天文台コンクールに日本のセイコーとスイスの時計メーカーCHE社がクォーツ時計のプロトタイプを出品し、その後世界初のクォーツウォッチの製品化をめぐってこの2社は熾烈な競争を繰り広げることになります。
しかし1969年にセイコーが先んじて世界初のクォーツ時計アストロンを発表、CHE社との競争に勝利します。
1970年ラドー・オメガなどがセイコーに続きクォーツウォッチを発表
もちろん他のメーカーの反応も黙って指をくわえて見ていたわけではなく、翌1970年のバーゼルフェアにはスイスのラドー、オメガなどがアナログクォーツウォッチを出品しています。
こういった動きは世界中に広まり、機械式腕時計からクォーツ式腕時計に世界の相関図が変わって行き、クォーツ腕時計量産の波が機械式時計を凌駕していきます。
1980年代前半スイス・アメリカの時計業界が大打撃
1980年に腕時計の全体生産台数で日本がスイスを抜いて世界1位になり、これらの台数の多くが輸出に当てられました。
結果、伝統に重きを置いていたスイス・アメリカの時計産業はクォーツ化への対応が遅れて壊滅的な打撃を受けてしまいます。
1980年代中盤に機械式時計の人気が復活
しかし1980年代後半から徐々にですが、いったんはクォーツ式に駆逐された感のある機械式腕時計が人気を盛り返し、機械式ならではの趣味性を生かした工芸品として復活を遂げます。
趣味性の高い富裕層の購買意欲を刺激するラグジュアリー時計ブランドとして、機械式時計はビジネスとしても再び成功を収めます
クォーツショックの海外の反応は?
こうして腕時計の歴史を劇的に塗り替えることになったクォーツショックですが、海外とりわけスイス・アメリカへの打撃は相当なものでした。
クォーツショック以後、腕時計はクォーツ化がどんどん進み、日本がスイスに変わって世界の時計王国になっていきます。
クォーツショクに対する海外の反応を見てみます。
1980年、時計王国スイスが2位に
クォーツ化の波で象徴的な出来事が1980年、それまで腕時計製造数では世界一の座を譲ったことがなかったスイスが、日本に製造台数で抜かれて2位に甘んじる結果となりました。
世界一の座を獲得した日本はやはり腕時計のクォーツ化で一歩も二歩も先を走っており、起こるべくして交代は起こったものと言えます。
アメリカのウォルサムが日本企業に買収
アメリカの老舗時計メーカーのウォルサムが1958年に一般腕時計からの撤退を決め、それ以後は会社再編生後に小規模ながら腕時計の製造を手がけていました。
そのウォルサムが日本の商社に買収され、一時は傘下になりましたが、現在は日本の平和堂貿易の子会社として独立経営しています。
スイス・アメリカの大衆メカ時計産業が壊滅
セイコーが水晶クォーツ式ムーブメントの量産を始めて、腕時計の大量生産ができるようになると、セイコーは腕時計の輸出に力を入れ始めます。
アジア圏やヨーロッパなどの商圏は日本製ムーブメントに席巻される事になります。
その結果、特にスイスとアメリカの大衆メカ時計産業がまったく売れなくなり、壊滅的打撃を受けることになります。
先端技術や戦略が遅れたことも痛手に
またスイスとアメリカの時計産業の大きな誤算としては、例えばセイコーは世界初のクォーツ式腕時計を発表すると、すぐにデジタル式の機械式ではない腕時計の研究に入りデジタル腕時計をこれも世界初で発表しました。
しかしスイス・アメリカは伝統にこだわるあまりデジタル化への対応が大幅に後れを取り、先端技術と戦略で出遅れたことが痛手になっています。
セイコーのクォーツショック 3つのメリット
腕時計の歴史の中で最も大きな革命といわれるクォーツショックですが、クォーツショックが起こったことで腕時計の歴史にはどのようなメリットがあったのでしょうか。
クオーツショックが起こったことで変化した腕時計の歴史に対するメリットを大きく3つに捉えてみてみましょう。
誤差が少ない時計が量産
今までの腕時計は機械式ムーブメントが主流で多少の狂いが出るが、動力源が不要でゼンマイを巻き上げるだけで駆動するため安定した動作が特徴でした。
しかしクォーツ式ムーブメントの登場で機械式よりも誤差の救いない腕時計が製造され、しかも量産が可能になったことは大きな進歩と言えます。
機械式時計の良さに注目が集まる
またクォーツ腕時計の登場で機械式腕時計よりも正確な時計が主流になると同時に、機械式腕時計の良さを見直す動きも出てきたことは事実です。
ただ単に時を刻むだけではなく、所有する者を引き付ける魅力にあふれた時計です。
時計職人に技術の粋を凝らしたモノとしての魅力にあふれた機械式腕時計は、モノを所有する魅力に溢れた趣味的な工芸品として再び脚光を浴びることになります。
安価で時計を手にすることができる
そしてクォーツ式ムーブメントをセイコーが特許を開放したことによって全世界のメーカーがクォーツ時計を製造できるようになり、ムーブメントの低価格化で機械式腕時計の時代よりも安価に腕時計を手にする事ができます。
以前は階層の高い人たちの持ち物だった腕時計に市民権を与え、誰でも手に取ることができる時計に腕時計を導いたのはクォーツショックの大きな功績と言えます。
クォーツショックで敗れたスイスの復活
クォーツショックで一番の影響を受け、時計事業そのものが危機に陥った国はスイスといえるでしょう。
以前は世界一の時計王国だったスイスが日本にその座を取って代わられ、時計事業の存続が難しくなったスイスが再び復活を遂げたのにはどういった理由があるのでしょう。
1983年にSMHを設立
この逆境に対してスイスは業界の統合を図り、オメガ・ティソを主体としたSSIHとロンジン・ラドーを主体としたASUAGを合併させて新組織SMHを設立します。
生産・マーケティングの両面での合理化を図るもので早急な取り組みが必要でした。
生産システムを合理的に再構築するのと、新規マーケティング戦略が合併の大きな狙いでスイスは新たな戦略で復活を目指します。
スウォッチの大ヒット
そして新組織の新たなマーケティング戦略の第一弾として1983年に新たな新風を吹き込むスウォッチをマーケットに投入します。
スウォッチのメインとする大きなテーマは、低価格でオシャレでスマート、しかも付加価値が高い腕時計という新たなビジネスモデルを作り出し、このテーマは皆に受け入れられ世界中で大ヒットしました。
ETAムーブメントの活用
さらにSMHはこれまで各ブランドは独自にムーブメントを製造していましたが、SMHはこれを集約し、全てのブランドのムーブメント製造をETA社1本に統一する事で、ETAムーブメントの徹底活用を行いました。
これで大幅なコスト削減が実現し、逆にオメガなどには機械式腕時計の充実を指示するなど、付加価値を刷新する事に成功し、スイスの時計工業を復活に導くのです。
機械式はラグジュアリー時計として復活
そしてスイスの時計業界はクォーツ全盛になって地味でしたが逆に人気を取り戻していた機械式腕時計の復活にも目を向けており、機械式腕時計の生産にも決して手を抜きませんでした。
腕時計職人が作り出す精巧な機械の美しさや、彫金やケースの装飾などに目立つ芸術的加工でラグジュアリー時計ブランドビジネスとして機械式腕時計は復活しました。
クォーツショックは機械式時計の発展に必要だった
クォーツ腕時計は時計の量産化を生み、今までの機械式時計の衰退も生みはしましたが、結果的に機械式時計は独自の発展を遂げ、新しく蘇っています。
さらに独特な文化として工芸品的な進化を遂げた機械式腕時計は更なるブームとして復興を遂げています。
クォーツショックは機械式腕時計の発展に必要な出来事だったと言えます。
この記事のライター
Rich-Watch編集部
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